ツール・デ・フォーレの宿を出発する日が来ました。
トイレに便座が無い以外はとても快適なホテルでした。
窓の外にサン・シル・ラポピーを眺めることができるのが最高のロケーションです。
朝食も、コンチネンタルですが充実しています。
普通のパンにクロワッサン、それにスポンジケーキ がありました。
チーズもシリアルもフルーツもあります。この日はこの辺りでとれたチェリーが箱ごと置いてありました。
パンにつけるハチミツ、それにジャムが3種類。どれが何なのかよく分からないままに全種類試してみましたが、どれもカントリー風の素朴な味がしました。
1時間足らずでフィジャックFigeacに到着。
町中は一方通行やら通行止めやらでグルグル廻るばかり。少し離れた高台にあるノートルダム教会の駐車場へ車を入れました。
旧市街へ下りていくと、土曜日なので朝市が開いていました。
どうりで通行止めになっているわけです。
市場の大屋根の下には、野菜は果物、肉類などの生鮮食料品を扱う店が出ています。
この辺りの店は常設というか常連なのでしょう。
少し離れると、衣類や日用品を売る店がでています。
色鮮やかなバッグを売るお店です。
マカロンを売っていました。
パリにある高級マカロン店とは違って、1ダースが10ユーロと格安です。
チョコレートとシトロン味を買いましたが、どちらもおいしかった。
ロゼッタストーンがあるエクリチュール(文字法)広場は、通りから一歩入ったところにあります。
ロゼッタストーンはエジプトで発見されました。
BC196年に出された「メンフィスの勅令」が刻まれたものだそうです。
碑文は古代エジプト語(象形文字)であるヒエログリフや古代ギリシャ語など3つの異なる言語で書かれていましたが、フィジャック出身のジャン=フランソワ・シャポリオンがヒエログリフを解読したのです。
ロゼッタストーンの現物は、なぜか大英博物館にあるそうで、サイズは縦114cm、横72cmという小さいものです。
ここにあるのはその拡大複製です。
勅令が書かれた碑文ですが、広場ほぼ全面ほどに大きなものですので、踏まずに歩くことはできないようになっています。
碑文の文字を拡大した写真ですが、どうもヒエログリフの部分ではないようです。
シャポリオンは1790年に生まれ、20歳までにアラビア語やヘブライ語など9つの外国語を習得しました。後年パリでルーブルのエジプト古美術部門を創設し、40歳のときにはフランスでの学問・教育の最高峰コレージュ・ド・フランスの古代エジプト学教授になり、「古代エジプト学の父」といわれた人ですが、残念ながら41歳のときコレラにより死去してしまいました。
広場近くの道の真ん中でピアノを弾く人。
半分壊れかけたような、調律も充分されていないピアノでしたが、正式なコンサートでの演奏とはまた違う味わいがありました。
(2011年6月)